ライリーおじさんのモーニングルーティン

 背中に硬度を感じる。薄手の布の下にあるそれはベッドの板。すなわち脳の覚醒を意味する。目を開けてサイドテーブルの時計の方に視線を送るが、やはりぼやけて判然としない。すこし腕を伸ばすとサイドテーブルの縁に指があたった。そこから指三本ぶん奥に触れると小さいプラスチックが手に収まる。フタを開け瞳に雫を落とす。目を閉じてしばらくして開く。そうして再び時計に目をやる。
 時刻は五時三分。視神経は正常に動き出したようで窓から薄く差し込む光を脳が捉えた。背中に力を入れて身を起こす。染み付いた習慣とは恐ろしいもので、アラームがなくても目が覚めるのはいつもこの時間。身体に習慣が蓄積する一方で、無理やり稼働され続けた神経は役割を手放そうとしているようだった。ベットを降りながらまだ脚が動くことを確認する。そのまま窓に近づきカーテンを開く。薄暗かった部屋に朝日が届き、澄み渡った青が目にはいった。色はまだ分かる。はっきりと視認できる距離はかなり手前になった。この確認作業が日課になってからもう随分も経つのだから当然だろう。じわじわと蝋燭が短くなっているのを感じる。それでもまだ生きている。
 生きている以上、戦わなければならない。守らねばならない。それが力を持った者の責務だろう。昔はただ勝つことを楽しんでいたように思う。若く、そして残酷であった。それが愚かなことだったと、歳を重ねて気づいた。私の中の細胞が反乱を起こし始めて、ようやく。もっと早くに気づいていれば、違う未来もあったのかもしれない。
 そんなことを考えながら洗面台に向かう。足取りは決して軽やかでは無い。膝を撫で、太ももを擦りながら前へ進む。頭の中のコレとは身体が朽ちるほど付き合っていることになる。どうりで私も歳をとるわけだ。環境が変わり、考え方も変わった。月日が経てば何もかも変わってしまう。心は脳の信号だとむかし誰かが言っていたが、もしそうなら私のこの心の変化は機械が書いたシナリオでしかないのかもしれない。電気もつけずに洗面台の鏡に向かう。うつるのは表情が抜け落ちた男の顔。ニィっと口角をあげてみる。どこか歪な笑い方。この明らかな作り笑いと、私の心の一体何が違うというのだろうか。

 しばらくぼんやりしていたようだ。足元の床に温もりがうつっているのを感じる。電気をつけてから蛇口をひねる。冷たい水を両手にためて顔を洗うと急な刺激に顔の筋肉は強張るが、気にせずにまた水を浴びる。タオルで水滴を拭いとり、パンパンと頬を叩いた。なにが偽物でもいい。今はただなすべきことを。
 髪を整え、服を着替え、部屋のドアに手をかける。遠くから賑やかな声が聞こえた気がした。