バスくんとルルエ

 散歩から帰るとフロントに呼び止められて封筒を渡された。手に馴染む厚さに、今はもう見知った文字。封筒を返して裏にある送り主の名前をなぞり、口角を上げる。歩いていた足は自然と速まっていき、気づけば駆け出していた。それでも部屋に戻るまで待ちきれなくて廊下を走りながら封を切る。
 勢いよくドアを開け、部屋に滑り込む。ベッドにダイブすると同時に後ろでバタンとドアが閉まる音がした。スプリングが私の身体を受け止める。枕が跳ねてどこかへ飛んでいったが些細なことだ。封筒から紙束を取り出す。

 期待していた朱色の文字はそこにはなかった。不思議に思い、パラパラとめくる。それでもそこにあるのは自分の文字だけだ。紙をめくる手に思わず力がはいる。強張る指は震えだす。気管が狭まった音がした。視界が霞む。なぜだ、なにを間違えた?紙をめくる音はやがて破れる音に変わった。土気色をした手で紙束を引っ掴み、投げる。丁寧に綴じられていた原稿用紙はバラバラになり宙を舞っている。
――はやく、酒か、クスリか
 どこかにある命綱を片目で探す。その最中、目の前に落ちていく紙屑に赤い文字。
――あか
 その紙はヒラヒラと揺れながらゆっくりと床へ落ちた。目で追うことしかできなかった。

 どれくらい立ち尽くしていただろうか。ハッとしてしゃがみ込む。さっきの紙は足元に落ちていた。優しく拾い上げる。
 厚い原稿用紙の束の、最後の一枚、物語の終わり。
おもしろかったです
そう一言、大きな花丸と共に記されていた。
 指に体温が戻っていく。頭の中がクリアになって、絡まった呼吸が正常を取り戻したことを知る。落ち着いた身体は、それでも涙をこぼした。それを腕で拭い、走りだす。大きな花丸をたずさえて。