七夕の夜、いや、もう過ぎているかもしれない。わからない。しらない。携帯は置いてきた。フードの先を手で押えて、海岸線を早足で歩く。できるだけ人がいないところを通って、できるだけ遠くへ。走っていないのに、頭のてっぺんからつま先までに鼓動が広がる。全身が心臓になったみたいだ。
「お〜い不良しょうね〜〜〜〜〜ん!!」
突如、暗闇からあがる大きな声に肩を跳ねさせた。無視して歩を進めようとしたけれど、足は思うように動かない。動かないのは足だけではない。首も手も、口も喉も、脳みそも心臓も。全身の毛穴が開き、汗だけがダラダラと流れ出てきている。そうこうしている間にもザリッザリッと誰かが近づいてくる音は止まない。知らない気配が僕のすぐ手前まで。
「家出かな?青いねぇ。」
「まぁ、そんなところです。」
カラカラになった口腔から絞り出された音は歪だった。気づかれていないと良いけれど。空気が身体から出たからだろうか、ようやく、それでもどうにか視線だけ動かせた。
「お姉さんは良い人待ち、ですか?」
平常を保とうとする。そんな僕をよそに、再び彼女は歩き出す。人の熱がまた遠くへ。
「そう、見えるかな」
掴みどころのない声色に気が抜けて、フードを押さえていた手がブランと落ちた。緩やかに首を声の方へ向ける。深く被ったフードに遮られた視界から分かったのは、彼女が崖の縁をフラフラを歩いていることくらいだった。
「さあ、どうだろう。今は死にたいように見えます。」
そう言って、はははっと笑ったみせた。大丈夫、いつも通りだ。彼女の反応を見ようと思ったけれど、少ない星あかりのもとでは表情までは伺えない。
「お姉さん、1人ならもっと星の綺麗なところに僕のこと連れてってください。星を見なきゃいけないので、僕」
息継ぎの仕方が分からなくなって一気にまくし立ててしまった。絶対ヘンに思われた。逃げ出したい。でも、膝がわらっていて動けない。
「そうだね、そうしようか。」
彼女はただ静かに応える。そして僕を振り返り、こちらへ。急いで下を向き、汗ばんだ手でフードをギュッと握りしめた。再び足音が僕の前で止まったかと思えば、頭に何か被せられた。
「それ、あげる。君に似合うと思うから。」
頭を覆う布越しからでもわかる温もり。冷えた指を恐る恐る伸ばすと、コツンとかたい何かに当たった。それの縁をなぞり、掴み、そっと下へ。彼女から被せられたキャップのつばで顔を隠すようにする。
「うん、思った通りだ。」
そうして僕の頭を軽く撫でて、また歩いていってしまう。ハッとして振り返る。
「あ、あの、ありがとうございます」
彼女がニイッと笑った、そんな気がした。
「早くしないと置いていくよ!!」
僕は走り出す。狭い視界のなか、つまずきながら、転びそうになりながら、それでも速度を落とさずに。