賑やかな食堂で四角い栄養に向かう。食事が楽しかったのはいつのことだっただろうか。血肉となるそれを疎ましいと思うことはないが、娯楽性を見出せなくなって久しい。生命を維持するためだけに口に運び嚥下する。そこかしこであがる食を謳歌する声が一つ壁を隔てたようにして届く。周囲の音を置き去りにして自分の咀嚼音だけが身の内に響いている。呼吸をするのと同じように無意識にする動作。いつも通りのなんてことはない日常。そんな平穏を壊す鋭い視線が突然降りかかった。思わず栄養を口へと運ぶ手が止まる。大きな手で四方を塞がれているかのような心地だ。気づいたことを悟られないよう止まった手に元の動作を再開させたが、さてどうしたものか。恨みなどいくらでも買っている。食堂には非戦闘員も多くいる。今暴れられたら私一人でどれだけ被害をそらせようか。殺意は感じられないがまるでスコープ越しに照準を合わされているかのようなこの視線から。そこまで思い至り、ふと懐かしい感覚に襲われた。私はこれを知っている。気づいた瞬間から向けられる視線が猫のじゃれつきのように感じられて心地良かった。ここに辿り着くとは大したものだと感心すると同時に、少し遊んでやろうかという気持ちが沸き起こる。手早く食事を済ませ席を立つ。立ち上がり移動するのに合わせてついてくるあから様な視線がおかしくて思わず笑いそうになるのを、頬に力を入れて抑えた。
機関の中を抜けて外へ出る。私が気づいていることには気づいているらしい。当然だ、そのように仕込んだのは自分自身なのだから。市街地へゆっくりと歩き出す。振り返らずに、ついてくる視線だけを確認しながら。人の隙間を縫うようにしてスルスルと、照準から逃れるようにして大通りを進む。ゆったりとした歩みから普通の速度へ少しずつギアを上げていく。大通りから路地裏に入る頃には緩やかに走り出していた。それでも一定の距離を保つどころかじわじわと近づいてくる彼女に、今度こそはっきりと口角を上げる。狭く入り組んだこの地区は鬼ごっこには最適の場所。人目がなくなったのをいいことに思い切り走り出した。
◇
「お遊びはもう終わりですか、ファウラー大佐」
行き止まりでガラクタに腰掛ける私に彼女は投げかける。落ちかけた陽に雲がかかったのか、さして明るくもない路地裏を一層薄暗いものにした。
「私はもう大佐ではないのだよサリヴァンくん」
彼女は背中にライフルバックを背負った上で息の一つも乱さないまま、けれど大きく溜息をついた。
「それを使えばもっと走れたのではないですか」
そう言いながら自身の頭をトントンと指で叩く仕草をした。私は会話の合間に密かに息を整えている。
「それは野暮だと思ったのだが違うかね?」
「……私が大佐を殺しに来たと言っても?」
両の口端を僅かにつりあげて薄く笑うのは彼女がスコープから獲物を覗くときの無意識な癖だった。相手を挑発するかのような表情。それも今回は意図的なもののようだが。
「フン、そんなやる気のない目で俺を殺そうってのか」
いつものより数段低いトーンの粗野な口調は彼女にとって耳馴染みが良かったようで、満足気な表情を浮かべていた。
「お変わりないようで何よりです」
こちらもフッと息を吐き出し態度を緩めることにする。
「いやいや、だいぶ衰えたよ。今SASに追いかけられたら逃げ切れないかも」
「生身で私をもてあそんでおいて何をおっしゃいますか」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな」
立ち上がりスラックスについた砂を振り払う。そのまま膝に手を当てグッと膝裏を伸ばした。
「帰ろう。競争でもするかい?」
「ご冗談はよしてください。はなから負けが決まっている勝負にのるのはもう辞めたんです」
「なんだ、張り合いがないなぁ」
どちらからともなく笑いだし、湿った路地裏を後にする。見上げた空には沈みかけの太陽に染められたシナバーの雲が浮かんでいた。